災害の中
ことばは無力で、安易な同情も共感もすることはできません。
とにかく今は犠牲者の方のご冥福を祈り、生き残ってもなお、だからこそおつらい気持ちであろう被災者の方へ、お見舞いを申し上げます。
知人友人家族を被災地にもつ私ですが、だからと言って、その経験や気持ちを共有することは永遠にできえない課題です。想像力を最大限に研ぎ澄まして、見て、聞いて、考えて、自分の行為を続けていくことしかできません。
今はただ、祈ることと、忘れないこと、何が問題なのかを考えていくこと、私にできることを続けていくこと、それしかありません。
大きすぎる組織ゆえの問題を露呈して、この危機に適切な意思決定をなしえない様々な組織への疑問を持ち続け、そしてその中でもそれでも懸命に仕事を続ける様々な現場の方々への敬意を忘れず、災害の中でも人として大事な何かを守りながら生きている方々の尊厳が尊重されることを祈り、この社会の課題、自分のなすことを考えていくしかない、という今日です。
そして、生き残った友人知人へ
生き残ったことがつらいかもしれませんが、それでも、私は、勝手な話だとは思うけど、貴方が生きていてくれたことがうれしいし、これからも同じ時代を生きてほしいと思っています。
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青木 (日曜日, 20 3月 2011 19:18)
昨日までアメリカでした。気仙沼の吉川ちゃんがどうなったかとても
気にかかっていました。私の故郷の阪神や、こんどいったニューヨーク
のロワーマンハッタンも、どんなに表向きは再建しても一度失われた
ものはそのままには帰ってきません。失われたものが生きるには、残ったものがそれを生かしていく、そういう形でしかありえないし、そうするのが
生きる者にも行く者にとっても最善と思えます。自分も関東大震災で行く
者にいつなるか知れません。そのときまで、最善を尽したいと思います。