2011年
3月
19日
土
災害の中
ことばは無力で、安易な同情も共感もすることはできません。
とにかく今は犠牲者の方のご冥福を祈り、生き残ってもなお、だからこそおつらい気持ちであろう被災者の方へ、お見舞いを申し上げます。
知人友人家族を被災地にもつ私ですが、だからと言って、その経験や気持ちを共有することは永遠にできえない課題です。想像力を最大限に研ぎ澄まして、見て、聞いて、考えて、自分の行為を続けていくことしかできません。
今はただ、祈ることと、忘れないこと、何が問題なのかを考えていくこと、私にできることを続けていくこと、それしかありません。
大きすぎる組織ゆえの問題を露呈して、この危機に適切な意思決定をなしえない様々な組織への疑問を持ち続け、そしてその中でもそれでも懸命に仕事を続ける様々な現場の方々への敬意を忘れず、災害の中でも人として大事な何かを守りながら生きている方々の尊厳が尊重されることを祈り、この社会の課題、自分のなすことを考えていくしかない、という今日です。
そして、生き残った友人知人へ
生き残ったことがつらいかもしれませんが、それでも、私は、勝手な話だとは思うけど、貴方が生きていてくれたことがうれしいし、これからも同じ時代を生きてほしいと思っています。
2011年
2月
10日
木
はじめまして
キーワードは原始的?
皆様 はじめまして
はり・きゅう・マッサージ からだ日和 で施術を務めます、鍼灸マッサージ師の吉川(きっかわ)です。
筆不精も甚だしく、ブログコーナーにコメント複数すでにいただいてからブログ始めるという逆転で、今頃のご挨拶となってしまいましたが、どうぞ今後ともよろしくお願い申し上げます。
さて、はじめに、『何故に私が鍼灸マッサージ師になったのか』でございます。
数えきれない理由や偶然がありますが、たぶん、一番は、原始的で根源的でシンプル骨太な技術、というところが性に合う気がしたのではないか、と思われます。(もちろん、鍼灸マッサージが安直で簡単な技術と言っているわけではなく、極める道は長く遠く奥深く、しかも幅まで広かったりする世界であることは、気が遠くなるほどですが...)
文明の恩恵、ぬくぬくした現代の暮らしも電気もガスも水道もコンビニも、手書きから解放される便利なE-mailも好きな私です。が、しかしながら如何せん、現代社会というものは色々何かとややこしく、複雑・煩雑にできております。そんな中で少しでも、すっきりしてややこしくないうるさくない、電源コンセントから解放された気分で生きてみたい、というのがあったのかと思われます。
原始的で骨太なものになぜか魅かれる、わけです。
つまるところ煩雑なデスクワークが嫌いなだけじゃないのか、と指摘する友人もおりますが......言い換えるとそうとも言えます。